
アウトサイダーアートのアイコン的存在のヘンリー・ダーガーですが、
今までそこまで気にしていなかった。
というか触れるチャンスは何度もあったけど、
何となくそのうち見てみるかと先延ばしにしていた感じだったのですが、
先日本屋さんでDVDを偶然見つけたので買ってみました。
絵もファンタジックで気にさせるものがあるけど、
それ以上にやっぱり彼のバックグラウンド。
死ぬまで人知れず孤独に、自分の妄想の世界だけに引き籠もって
描き綴っていたというところに引き付けられます。
このドキュメンタリー映画を観るまでは、
それでも彼は幸せだったのかもしれないと思っていた。
孤独は多分、不幸ではない。
誰も傷つかない。
煩わしい使命感や安易な家庭感、人間関係に振り回される事も支配される事もない。
開かれた世界では、見たり知ってしまった事、
経験してしまった事で苦悩に苛まれる事があるが、
閉じた世界にいて情報が遮断されていれば、始めから何も知らないままでいられる。
何より自分だけのペースで生きていられるのだから。
そんな風に思っていた。
でも、実際もう真意は分からないけれど、やはり苦悩や葛藤が沢山あって、
失ってしまった時間への後悔や嘆き、繰り返される怒りや哀しみといった感情のせめぎあいに、
常に苛まれていたのかもしれない。
隣人だった方の
「ウソが必要になるような体験を彼は過去にしてる」
「彼なりの方法で恐怖に対処しただけなんだ」
という言葉が、僕にはとても印象的に思えたし、ちょっとだけ分かる気もした。
ただ、妄想の世界でヴィヴィアン・ガールズを生み出し、
彼女たちと心を通わせる事が出来たという点では幸せだったのかもしれない。
そして彼の部屋である聖域が、死の直前まで誰にも侵されなかったという部分も。
絵(作品)を観る時は、絵そのものの魅力だけでなく、
情報も同時に消費していると言うけれど、確かに情報が入ると、
より一層作品が興味深く思えてくるのだなと改めて思った。
こういった類いの絵は今でもよく見掛けたりするけど、
大抵のものは見た目のきらびやかさとか装飾的な上っ面ばかりで、
到底血が通っているようには思えず、
「なんだ気取っているだけじゃんか」と思ってしまう。
でもヘンリー・ダーガーの絵は、やはり生々しい程に、
時には血なまぐささすら感じられ、それが彼のバックグラウンドと相俟って
引き付けられるのかもしれない。